結婚の遅れた人へ
結婚について

一心同体ということ、家庭づくりの知恵

一心同体ということ

今まで夫と妻のあり方をいちばん強く教えたことばに、一心同体というのがあります。ところが、どうもこのことばは\"白髪三千丈\"などと同じで、昔の人の大げさな表現にすぎないと思うのです。いくら夫婦でも、一心同体などではあり得ません。肉体も、育ってきた歴史も、したがって考え方も違う二人が、結婚し、一つの家ぢに住んだからといって、どうして同体になれるものでしょうか。夫婦は決して一心同体でなんかないということを、これから結婚する人たちは、互いにわきまえていてください。食べ物、趣味、ささいな好みだって、すべて違うではありませんか。それなのに、今までの古い考え方では、夫のほうへ妻が没入するものであり、夫は妻を没入させなければ、きげんが悪かったのです。だから、表面だけを見れば、何もかも同じで、あたかも一心同体であるかのように見えました。しかし、これは一心同体になれたのではなく、なれた\"つもり\"でしかなかったのです。
二人の距離をどうするか
人間はたとえ夫と妻であろうとも、別個の存在である以上、二人は二人なのです。一つのものを二人で見ても、感じること、思うことは違うはずです。あるときには、似ているかもしれませんが。一心同体でないからこそ、夫と妻の問には距離があるはずです。ところが、夫と妻の間には距離はないもの、あってはいけないものと考えるから、暮らしているうちに距離を見つけ、\"こんなはずではなかったのに\"ということになるのです。ほんとうは、\"ここのところは非常に近いけれど、ここはとても離れている\"ということを二人が見きわめていなければいけないのです。これがはっきりしていれば、遠いものを近づけていく努力をすることができます。距離を発見して失望するのではなく、むしろ積極的な希望が生まれます。より親しみも生まれてきます。この夫婦の原則を正しくわきまえているのが現代の夫婦であり、長くうまくやっていける人たちでしょう。
どっちが歩み寄るか
お互いに離れている部分を近づけようとする努力は、夫婦にとってたいせつです。しかし、二人が両方から歩み寄る必要はないのです。つまり、ある問題では妻のほうが歩み寄れば、自分も楽しいし、相手にもよいという場合がありましょう。また他の点では夫が妻へ近寄っていくほうがよい場合もあるはずです。そういう距離のちぢめ方が、夫婦の間には必要なのです。そして、\"水ももらさぬほど\"に接近できれば、それは大成功です。しかし透き間がはじめよりずっと狭くなった、あとわずか残っているだけだ、というところまでもっていかれれば、この結婚は成功したといえましょう。若い夫婦が、急いでこの距離をちぢめようとしても、それは無理です。家庭という大きなものを、二人がゆすぶりゆすぶりしていくうちに、この距離がだんだんちぢまっていくものなので、これには三〇年も、四〇年もかかるのが普通です。


家庭づくりの知恵

さて、この二人の出入りによって距離をちぢめていくこと、これが生活の知恵というものです。古い家庭ですと、亭主関白が妻を自分のほうへねじ曲げて近づけるような、尊大かつ不遜な態度を、あたりまえなこととしてとりがちでした。恐ろしいことですが、これはほんとうの愛情というものを知らなかったからなのでしょう。話し合い そんな暴力ではなく、まず夫婦の距離をちぢめる手段の一つは、夫婦がよく話し合うことです。話し合えば話し合うほど、よい夫婦に生まれ育っていきます。\"しずかな夫婦\"をよい夫婦のようにほめ、女のおしゃべりを〃うるさい、はしたないときめつけましたが、こんなのは、武家の夫婦の作法です。私たちは、もっと庶民的な夫婦道徳によって、大いに話し合うのを良しとしましょう。\"女は黙っていろ\"などと言うのはいけませんけれど、またそう言われないためには、美しく魅力的に話せるような話術を女が習得することも必要でしょう。西洋料理の味でいく 料理はずいぶん人間を変えるものです。たとえば、日本料理は、こしらえた味から一歩も出られないものです。きめられた味の範囲で食べるよりほかないのです。妻がこうときめて作った味を、夫はあんばいすることもできずに、黙々と食べるよりほかありません。(女は弱い立場のように見えますが、こういう点、案外根強いものをもっているのですね)\"おいしいでしょう\"と押しつけて食べさせてしまうのです。ところで、西洋料理はどうでしょうか。ソースや塩をテーブルに出して、\"ご自由に\"とすすめます。こんなところにも、西洋の民主主義があるような気がするのです。相手に二分の自由を残し、相手を尊重している料理の作り方だと思うのです。家庭づくりの知恵は、こんなふうに働かせたい。今までは押しつけるか、\"あの人はこの味が好きだから\"と、自分ががまんして、相手の中に引き入れられるかどちらかでしたが、これからは、相手も自分もたいせつにする西洋料理でいきましょう。社会の歯車と家庭の歯車と妻に要求される知恵の中には、家庭と社会のバランスをうまくとっていくためにどうしたらよいか、ということがあります。女はなんといっても、きびしい世の中の舞台から一歩遠ざかって生活しています。一方男性は、共同の仕事場で、絶えずぶつかり合い、きりきりまいをして暮らしています。自分が仕事の中で生かされたときにはうれしいが、生かされなかったときはとてもつらい。このつらさが、妻にわかってもらえれば、男はうれしいのです。この夫のつらさを、ハッと気づくような妻になってほしいのです。社会の歯車と家庭の歯車の動き方、早さには非常な違いがあります。社会の歯車の速度が早いほど、夫はつらい。夫は、この速度を調節しようとして、家路の途中で寄り道がしたくなるらしいのです。一杯飲み屋で、速度を落として、ゆるい速度の家庭の歯車へと帰ってくるわけです。もし家庭で待ち受けている妻が、夫をしっかり受け止められるなら、夫を家庭の歯車の中へ抱き込んであげる技術をもっていれば、夫は途中で調節をする必要がありません。生活の知恵から生まれた技術。これは、奥さんの大事な研究課題ということにしておきましょう